研究者

看護師の経験を活かし、治りにくい傷を乳酸菌の力で改善

東北大学医学系研究科 看護技術開発学分野の菅野恵美教授。寝たきりの高齢者などで起こる「褥瘡(じょくそう)」という問題に着目し、治りにくい傷を改善する治療法の実用化を目指しています。もともと看護師として働いた経験を持ち、そこから研究者の道へ。どんな研究に取り組んでいるのか、その思いを伺いました。

どんなイノベーションを目指しているか

乳酸菌を活用した治りにくい傷の治療技術の開発

私は山形大学の看護学科を卒業し、修士課程を経て3年間看護師として働き、その後研究者の道に進みました。研究者を目指したのは研究への興味に加えてもともと教師になろうと思っており、若い世代の教育に力を入れていきたいという思いがあったからです。大学の学部生時代から続けている研究が、「褥瘡」の研究です。

褥瘡とは長時間の圧迫によって皮膚に十分な血液が流れず皮膚が損傷した状態です。寝たきりになってしまった高齢者や栄養状態の低下した方、脊髄を損傷するなどして車いす生活を送っている方で起こりやすい症状です。褥瘡によって生じる傷は、発生要因が複数あるため治りが悪く、入院が長期化する原因となります。傷の状態も変わりやすく一晩で悪化することもあります。

今後日本で高齢化が進み介護を必要とする高齢者は増えていくでしょう。家にいながら在宅医療を受ける方も増えていくと予想されます。患者さんが褥瘡に苦しんだり、治療をすぐに受けられなかったりすることは大きな課題だと考えています。

そこで私たちが研究を進めているのが、褥瘡などの治りにくい傷を治療する方法です。この治療にはみなさんにも身近な「乳酸菌」を活用します。特許製法により作成された乳酸菌(分散性を高めた加熱殺菌死菌)を投与すると傷が治りやすくなるというデータがマウスによる研究で実証できました。

もう1つの課題が、安価に治療を受けられるにはどうするかという点です。実は現在でも褥瘡に関する専門的な治療法や「再生医療」の利用などがあるものの、専門家のいる設備の整った大きな病院でしか受けることができず費用もかかります。そこで私たちが目指しているのは、創傷を保護し、傷が治りやすい環境を整える「ばんそうこう」のように手軽に利用できる医療機器の開発です。私の専門は看護学ですが、生物学(バイオ)の知識や工学(ものづくり)の知識も求められます。様々な専門知識を掛け合わせ、企業と共同研究を結びながら実用化を目指しています。

これまでの歩み

振り返ってみれば、大学時代から多様な分野の先生方に教わってきました。看護学科でありながら、基礎医学や薬学、心理学などに触れる機会もありました。3年の看護師経験を経て東北大学で助手・助教として働きながら博士号を取得したのですが、この時は医学部の形成外科の先生や感染免疫を専門とする先生にお世話になりました。

褥瘡をはじめ、順調に治らない傷を治す方法について研究メンバーと共に考えるのは、まるで推理小説を解くような面白さがあります。

この研究をするために、「看護」という枠を超えて、医学部の先生をはじめとする看護以外の先生方からも助言を頂く機会が数多くありました。大学で看護学を学んだ後の職業選択の幅が広がっていると感じます。先入観にとらわれず、看護ではない分野を専門とする先生方に視野を広げていただいたおかげで、実験的研究から看護技術のエビデンス構築に繋がる研究ができていると感じます。

看護学を専門としながら実験をしている、というのは意外に思われるかもしれません。大学の学部時代に指導を受けた先生から、実験研究により病態を把握しないと、看護ケア技術のエビデンス(根拠)は構築できず、これからは実験的に病態を解明した上で看護ケア技術の開発を担える人材が必要とのアドバイスを頂き、褥瘡の組織をみる研究を大学の学部生時代からやってきました。看護師経験を持ちながら実験・検証もできることは、自分の強みだと考えています。

「乳酸菌」を褥瘡の治療に使うというアイデアは、企業の方との共同研究の中からうまれました。乳酸菌とは別の菌を使って褥瘡の治療をするという博士論文を英語で出したのですが、この論文を見た乳酸菌を製造する企業から共同研究の依頼を頂きました。「論文を見て共同研究の申し込みをしてくださる方がいるんだ」という驚きとともに、研究の成果を論文化して世の中に出していく大切さを感じました。

アイデア・技術を実現するために

技術を社会で実現するためには、「社会のニーズ」を理解する必要があると考えています。いい技術があるのに売れないという話をよく耳にします。実際に使ってもらえないと世の中はよくならない。社会のニーズをとらえて、自分の技術がどこに強みがあるのかを考えることが大切です。そのためにも積極的に大学の外に飛び出し、プレゼンテーションの機会に参加するようにしています。そうすると自分の技術の強みやニーズがありそうな領域が分かり、連携したいという企業の方から連絡を頂くこともあります。

国も2022年を「スタートアップ元年」とし、起業に力を入れています。そうなると研究者も研究・教育だけではなくて事業の開発や経営・起業まで考える必要が出てきます。技術(テクノロジー)が分かり、そして事業を作ることができるような人材が必要です。これからは文系・理系をつなぎ、さらにはその枠の垣根を超えた人が増えていくといいなと考えています。

未来へ向けて・高校生へのメッセージ

今後は、2つの特徴を兼ね備えた創傷被覆材(高度管理医療機器)を開発したいと考えています。1つはスムーズに傷を治す有効性。もう一つは使いやすさ(ユーザビリティ)です。今後は在宅で医療を受ける人も増えるでしょうから、将来的にはご家庭の薬箱の中にこの創傷被覆材(ばんそうこう)がある、コンビニエンスストアにも置いているくらい使いやすい状態を実現したいと考えています。また、貼って治す薬だけではなく、飲むことで褥瘡の発生や重症化を予防する薬も作りたいなと考えています。

看護学の考え方の特徴は、「患者さんの生活をよりよくする」という視点で物事を考えることだと考えています。3年間大学病院で看護師として働いた経験もありますが、患者さんの状態や要望は1人ひとり違っていて、人の生活の数だけ看護の形があると感じました。患者さん1人ひとりに寄り添っていく、それが看護学の考え方だと考えています。

看護学はまだまだ新しい学問です。東北大学に保健学科ができ4年制の看護学専攻で学べるようになってからまだ20年ほどです。それまでは東北大学に併設されていた医療技術短期大学で3年間で看護学を学んでいました。歴史が浅い分無限の可能性があると考えています。研究に力を入れている国立大学として新しくユニークな学問分野を創っていきたいと考えていますし、看護の道を目指す高校生のみなさんに「看護学を研究する」さらには「看護学の視点をもとに開発する」という選択肢を伝えていきたいと考えています

 

編集後記

取材を終えて:2人の子育てをしながら研究している菅野先生。旦那さんも材料工学を専門とする研究者で、「家庭の中でも様々な専門分野に触れられる環境があるのはありがたい。普段の会話からもイノベーションのきっかけがあるのかも」と話していました。看護学以外の専門分野の研究者や企業の方々をはじめ、様々な領域の方々とつながりながら研究を進めている姿が印象的でした。

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